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中学5月月報より 遠距離通学

5月の中学月報より、鈴木美和子教頭の文章を抜粋します。
 
 中学2年の私の担当の英語クラスもようやく軌道に乗ってきました。その中の何人か遠くから通って来る生徒がいます。朝5時過ぎの起床、電車の乗換、やっとこさ学校到着という次第です。目が覚めてからもう三時間以上たっています。頭が下がります。
 
 実は私も遠距離通学者でした。小学生の時です。父の仕事の都合で伊豆の山間を転々としました。小学校1年で私一人だけバス通学を許可されていました。帰りには学校近くのバス停で幼稚園児たちの後ろに並んでバスを待ちました。なんだかいつも恥ずかしく感じていました。友達と帰りたいので、途中からバス通をやめて皆と歩いて帰ることにしました。「あの角を曲がると、○○○○のナンバーの車があるよ」と(当時少なかった車の)ナンバーを誰が先に言えるかを競ったりしました。歩きながら道端に生えているツバナという草の花穂を取って吸いました。おいしいというわけではありませんが、綿毛の様でほんのりとした甘さがありました。最後の友達と別れてからは、橋を渡って、民家もない川沿いの道を子供の足で20分程歩いて家に帰るのですが、今なら、一人で危険というところでしょうか。
 小学2年では分校通いで、3年から本校です。家から海岸近くまで歩いて、そこから山に登り、中腹まで来ると、ぐるっと巻いて行った向こう側に学校がある、という具合でした。1時間半以上かかったと思います。学校が終わると、校庭で遊んでいるたくさんの子供たちを尻目に、同じ地区の子たちと(八甲田山の行軍のごとくに)並んで帰りました。下り坂に来ると、自然に走ってしまい、道の角ごとにある木の幹が、子供たちの手の触るところだけ、すべすべしていました。それほど、急な山道だったのでしょう。でも、大変だった、という記憶はありません。雨の日のかっぱ(今ならレインコートというのか)のゴムのにおいを覚えている気がします。仕事の都合でやむをえないとはいえ、小学生にこんな道を毎日歩かせていた当時の親の気持ちを考えると胸が熱くなります。私にとって、登下校というのは全く違ったふたつの世界を行き来するひとつの旅でした。

 学校に来て勉強をするということは、一種の心構えを要求するのです。家の雰囲気のままで教室に入ってはいけないのです。運動をする時、準備体操をするように。だから通学はそれがどんなに短い距離であっても、単に場所を移動することではなく、違った世界に入っていくという一つの儀式なのです。遠距離通学の生徒はその儀式のための十分な時間を持っているのです。行き帰りに、小学生の私のようにツバナや数字の当てっこのような子供らしいひと時があることを願います。時代は変わっても、子供は(中学生は)遊びを見つける天才ですから。そして、どうぞ道中、安全に。